10年前 校長通信

 昨日は東日本大震災から10年ということで、テレビでは当時の映像が流されていました。
 10年前の昨日は年度末テストの最終日で、多くの生徒は午前中に試験が終わって下校していて、14時46分には部活動の生徒が残っているだけでした。私には、激しい揺れというより「長いな」と感じがしていました。
 校内にいた生徒をグランドに集め、まず点呼をして名簿で確認をしました。帰宅していく生徒もいましたが、約200人の生徒と教職員、東京校野球部の生徒、小学生が多目的ホールで不安な夜を過ごしました。津田沼まで歩いて行って電車が動いていないのでまた戻ってきた生徒もいました。保護者の方が迎えにいらして引き渡していましたが、夕方に自宅を出ても学校に到着するのが夜中になり、最後の生徒が帰宅したのは翌朝10時を過ぎていました。朝食は、食堂がご飯を炊いてくれてお味噌汁を作ってくれました。メンチやコロッケの差し入れがありありがたかったです。
 多目的ホールにプロジェクターでニュース映像を映していましたが、津波の映像を見ても、その時には頭の中が混乱していて理解できないでいました。多くの方が亡くなられた現実を理解したのは、夕方自宅に帰ってからでした。
 当時の在校生やご家族に大きな被害はなく、学校も大きな損壊などはありませんでした。夏にお世話になっている岩手県大東町の皆さんにも、固い地盤の上というだけあって大きな被害はなかったことも幸いでした。一山超えた隣町の陸前高田は壊滅的な被害でした。この年の自然体験学習は辞退しようと連絡したところ、「こういう時だからこそ交流事業を続けましょう」と言われ、30人の生徒を受け入れていただきました。
 あれから10年。災害は忘れたころにやって来ると言います。常に「いざ」という時の心掛けは、忘れないようにしておきましょう。

昨日の中学棟4階からの夕景です
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