図書館四方山話その20

 一年中で最も寒い時季、寒の内。昨日は寒の内の真ん中、大寒でしたね。まだまだ寒さは続くのでしょうか。でも、ろう梅に続き梅の花もちらほら咲き始め、立春を迎える準備は進んでいるようですね。
 先日、本を借りに来られた国語の先生と話していたところ、その会話がきっかけで中1の時の国語の先生のことを思い出しました。記憶って不思議ですね。何年も全く思い出すことも無かったことなのに、ちょっとしたきっかけで次々と思い出され、情景がよみがえり、声が聞こえてきます。あまりに懐かしくて、しばし思い出に浸ってしまいました。

 その国語の先生の名前は思い出せないのですが、顔や声、話している姿などはとても鮮明に覚えています。肩までの髪がいつも広がってユラユラ揺れていて(ソバージュのパーマ?天然パーマ?)少しハスキーな声の女性の先生。先生は、よく本の紹介をしてくれました。『アンネの日記』を初めて読んだのも、先生に紹介されてのことでした。現在の中2の教科書に紹介が載っていますが、当時はどうだったのか・・・?教科書と関係なくいろいろな本を紹介してくださっていたような気がします。とにかく、本を紹介する時には真剣なまなざしで私たち一人一人を見つめながら、熱く熱く語る先生でした。先生に紹介されていなかったら自分では手に取ることが無かったか、手に取る時期がもっと後になっていたかという、いい本にたくさん出合えたのは、幸せなことでした。他に覚えているのは、『秘密の花園』『アンクル・トムの小屋』『赤毛のアン』・・・などなど。海外文学が多かったかな。あ、でも『坊っちゃん』や『あすなろ物語』、日本文学もあったなぁ・・・。

 詩もたくさん教えてくださいました。よく詩のプリントを配られて、これまた先生は詩について、詩人について、熱く熱く語られたものでした。当時、学校で配られるプリントは、先生の手書きの原稿をガリ版刷りしたものでした。と言っても、皆さんにはわかりませんよね~。パソコンなんて無かった時代、ワープロも無かった大昔の話なもので・・・。つまり、プリントを作って配るということは、現在よりもなかなか手間も時間もかかる大変な作業だったわけです。今思い返すと、先生のおかげで中1という多感な時期に、本当に多くの詩や詩人に出会わせていただきました。

 中でも、宮沢賢治の「永訣の朝」や「雨ニモマケズ」を朗読する先生の声は耳の底に残っていますし、高村光太郎の「レモン哀歌」では、先生が語る光太郎と智恵子の物語に胸ふるわせました。山村暮鳥の「純銀もざいく」は、プリントの文字も覚えています。丁寧に書かれた「いちめんのなのはな」の文字が7行並び、8行目に「かすかなるむぎぶえ」9行目に再び「いちめんのなのはな」で1連。同様に2連、3連と続きますが、8行目だけ違う詩句が入ります。ずらりと並んだ「いちめんのなのはな」の文字に圧倒され、「こんな詩もあるんだ~!」と驚いたのを覚えています。じっと見ていると文字の波が、菜の花畑のように見えてくるのですよね~。そして、ぽつりと挟まっている「かすかなるむぎぶえ」や「ひばりのおしゃべり」が浮かび上がって見えて、聴覚が刺激されるのです。3連の「やめるはひるのつき」は聴覚ではなく、ぐぅんと空高く連れていかれて菜の花畑を俯瞰する視点を得られる感じ・・・うまく言えませんが、中1の私にはかなり衝撃的な詩でしたね~。先生のあたたかみのある丁寧に揃えられた手書き文字のおかげでしょうか。

 他にもありますが、結構長くなってしまいましたので、このへんで。思い出話に付き合ってくれて、ありがとう!